Archive for the ‘震災201103111446’ Category

Dr.中川のがんの時代を暮らす

火曜日, 11月 15th, 2011

Dr.中川のがんの時代を暮らすは、毎日新聞日曜日に連載中です。

2週間分毎に転載させていただいています。

Dr.中川のがんの時代を暮らす:13 見直し進む食の安全基準

 内部被ばくの恐怖が収まりません。お母さん方の心中を思うと、僕もつらい気持ちになります。ただし、半減期30年のセシウム137を摂取しても排せつによって、子供は数週間、大人も約3カ月で体内の量自体が半減します。

 実際、福島の住民を対象とした検査の結果、セシウムによる内部被ばくも、危惧されたレベルではないことが明らかになりつつあります。9月末までに検査をした福島県民4463人の内部被ばく量は、生涯で約3ミリシーベルトと推定される2人の値が最大でした。そのほか、8人が2ミリシーベルト、6人で1ミリシーベルト、残りの4447人は1ミリシーベルト未満でした。いずれもがんが増えるレベルではなく、ほっとしました。

 チェルノブイリでは、事故の公表と食品規制が遅れたため、放射性ヨウ素による小児甲状腺がんが増えましたが、放射性セシウムが直接原因となった発がんの増加は、これまでのところ確認されていません。チェルノブイリと比べて、福島での被ばく量は少ないので、福島では放射性物質が直接原因となるがんは、どんながんでも増えないだろうと思います。

 さらに、セシウムによる内部被ばくにつながる食品の放射性物質について、安全基準がさらに厳しくなります。小宮山洋子厚生労働相は10月28日、「年5ミリシーベルト」としている放射性セシウムの暫定上限を「年1ミリシーベルト」に引き下げる方針を明らかにしました。

 これは、内閣府の食品安全委員会が、食品から受ける被ばくについて、放射線による健康への影響が見いだされるのは「生涯の累積線量が100ミリシーベルト」とする評価書を出したことを受けたものです。

 食品安全委員会の議論には、僕も、専門参考人として参加しました。100歳まで生きる人を想定すると、「生涯100ミリシーベルト未満」を目指すためには食品からの被ばくの上限は年1ミリシーベルトになります。例えば、野菜の現在の暫定規制値は1キロあたり500ベクレルですが、単純に5分の1にするならば100ベクレルが上限になります。これは、米国の基準の12分の1に相当し、生産者にとっては非常に厳しい数字となります。一方、この見直しによって、内部被ばくの心配はさらに少なくなりますから、国民の安心は広がるはずです。

 

Dr.中川のがんの時代を暮らす:14 自然被ばくとは

東京電力福島第1原発の事故を許すことができないことに、だれも異論はありません。ただし、この事故がなかったとしても、私たちだれもが毎日、放射線による被ばくをしていることも現実です。

 大地からガンマ線が出ていますし、宇宙線は常に地球へ降り注いでいます。さらに、天然の放射性物質は大気にも食べ物にも含まれますから、私たちの体内にはかなりの量の放射性物質が存在しています。これら自然環境からの被ばくを「自然被ばく」と呼びます。

 日本の自然放射線は、国際的に見ると少ない方で、世界平均の年間約2・4ミリシーベルトに対して、日本は1・5ミリシーベルト程度です。これはウラン鉱石などの資源が少ないためですが、同じ日本国内でも地域差があります。西日本は東日本より自然被ばくが多い傾向があります。放射性物質を多く含む花こう岩などが多く、大地からの被ばくが増えるのです。しかし、西日本で、がん患者が多いというデータはありません。

 ウラン鉱石などの資源が多い米国では、自然被ばくは年間3ミリシーベルトと、日本の倍です。上空では、宇宙線を「遮蔽(しゃへい)」する空気が薄くなり、成田からニューヨークを航空機で往復すると0・2ミリシーベルトの被ばくになります。7往復すれば日本国内の年間自然被ばくに達しますが、米国駐在の商社マンに、がんが多いわけではありません。

 世界には、もっと自然放射線が高い場所があります。イランのラムサールというラジウム温泉で有名な保養地では、年間の線量が最大で200ミリシーベルト以上にもなりますが、やはりがんの増加は認められてはいません。

 そもそも、日本人が(僕もですが)愛してやまない温泉は、自然放射線が高いのです。たとえば名湯として有名な有馬温泉(兵庫県)もラドンを含む「放射能泉」の一つです。

 わずかな放射線を徐々に浴びる場合、身体への悪影響はほとんどないと多くの専門家が考えています。「1ミリシーベルトを超える被ばくはすべて危険だ」と言う人もいますが、科学的な根拠はありません。実際、平均的な日本人は年間5ミリシーベルトを超える被ばくをしています。自然被ばくに加え、「医療被ばく」もあるからです。次回はこの点をお話しします。

Dr.中川のがんの時代を暮らす

火曜日, 11月 15th, 2011

Dr.中川のがんの時代を暮らすは、毎日新聞日曜日に連載中です。

2週間分毎に転載させていただいています。
Dr.中川のがんの時代を暮らす:11 積算放射線量を測る
 
 「毎時1マイクロシーベルトの公園に、1年間ずっといたらおよそ9ミリシーベルトの被ばくになる」という計算が紹介されることがありますが、現実にはあり得ない想定です。そもそも、外部被ばくの量は、数メートル離れるだけで大きく違ってきます。風に乗って運ばれた放射性セシウムは、雨に溶けて土などに吸着していますから、空間放射線は、風向きや雨といった天候や、地形、地表の性質などによって大きく異なるからです。

 東京電力福島第1原発の事故によって放出された放射性物質は、3月15日と22日の風に乗って、首都圏まで達しました。15日の方が運ばれたセシウムの量は多かったのですが、幸いにも雨が降らなかったため、「素通り」になりました。一方、22日は雨が降り、セシウムが地表に沈着することになってしまったのです。

 線量が局所的に高い地点は「ホットスポット」と呼ばれます。ホットスポットは、福島第1原発から放出されたセシウムを乗せた風が流れ込んだときに雨が強く降った場所、とりわけ公園など土の多い場所にあたります。

 屋外と比べ、屋内での被ばくはぐっと少なくなります。木造家屋でも、屋外の4割程度、マンションなどの鉄筋コンクリートの建物の中では、2割以下になります。結局、個人が受ける外部被ばく量は、「線量計」を携帯して測らなければ分からないことになります。

 この個人の被ばく線量の測定に便利なのが「ガラスバッジ」です。特殊なガラスに放射線があたると、化学反応が起きて積算量が「記憶」される性質を利用したもので、病院などでも利用されています。ガラスを入れた小さなケースを常時身につけて、被ばく量を測定します。

 このガラスバッジによる測定結果が、明らかになってきています。福島県川俣町の約2500人の7~9月の3カ月の積算放射線量は、最大で約1ミリシーベルトと報じられています。同県伊達市の約8400人の8月、1カ月間の計測の結果からも、年間の被ばく量は最大でも5ミリシーベルト程度にとどまることが分かりました。

 年間5ミリシーベルトは、住民の平時の「被ばく限度」である1ミリシーベルトを超えますが、これによってがんの発症が増えるレベルではありません。

 

Dr.中川のがんの時代を暮らす:12 ジョブズ氏を悼む
 

米アップル社の共同創業者で前最高経営責任者のスティーブ・ジョブズ氏が、今月5日、膵臓(すいぞう)がんのため、56歳の若さで亡くなりました。私は「パソコン依存症」ですが、同社のマッキントッシュ(Mac)以外のマシンを使ったことがありません。4年前にはシリコンバレーの本社を訪問したほど、アップルをこよなく愛してきましたので、予想はしていたものの、ジョブズ氏の死は大変ショックでした。

 1980年代に社内抗争によってジョブズ氏が追放されると、アップル社は業績が悪化し倒産の危機に直面しましたが、彼の復帰後は、その強烈なカリスマ性によってiPodやiPhoneなど、時代を先取りする商品を矢継ぎ早に世に送り出し、今年8月、ついに株式の時価総額が世界一となりました。

 ジョブズ氏は、亡くなる前日まで、仕事をしていたようです。その精神力と使命感に驚くとともに、がんが実は「ピンピンコロリ」型の病気だということを実感させられます。このことは、胆のうがんで亡くなった、プロ野球元日本ハム監督の「親分」こと大沢啓二さんが、亡くなる2週間ほど前まで、テレビに出演していたことでも分かることです。

 膵臓がんは、手ごわいがんの代名詞です。完治する人はまれで、生存期間も平均で1年程度です。ところが、ジョブズ氏の場合、最初の手術から亡くなるまで7年が経過しています。大富豪ゆえに特別な治療が施された、というわけではないと思います。

 実は、ジョブズ氏の膵臓がんは「膵内分泌腫瘍」で、一般的な膵臓がんとタイプが違います。これは、膵臓の中で、インスリンなどのホルモンの内分泌をつかさどる細胞が「がん化」した腫瘍です。膵内分泌腫瘍は、膵臓がん全体の2%程度と非常に珍しいものですが、治癒率は普通の膵がんと比べると格段に高く、早期で手術すれば、ほぼ完治します。

 しかし、ジョブズ氏の場合、診断後も食事療法などの代替療法を続け、手術が9カ月も遅れてしまいました。本人も後悔していたと報じられていますが、天才経営者の「判断ミス」が、ITの歴史を変えてしまわないように祈ります(合掌)。

何年振りだろう・・・大洋海岸

月曜日, 11月 14th, 2011

父が鹿嶋市武井、母が鉾田市上沢出身です

お世話になった方々へのご挨拶と墓参りに出かけました

海を一望するお墓にお線香をあげた後で大洋海岸京知釜通過中

 

丘サーファーだった若かりし頃毎週のようにこの海岸に来ていました

懐かしいです

流木や船が海岸線に・・

震災直後はどんなだったのでしょうね

大洋海岸

大洋海岸

大洋海岸

大洋海岸

大洋海岸

毎日新聞記事より 2011.10.27

水曜日, 10月 26th, 2011

 取手市は24日、東日本大震災に伴う放射線除染対策事業や被災者を臨時職員として雇用するなど、計6022万5000円を増額する補正予算案を専決処分したと発表した。

 放射線除染対策事業では、市は当初、市内90カ所で放射線量を測定していたが、市民の要望に応え計100カ所に拡大した。また、学校給食の検体検査も当初の240検体から一気に1596検体に増やすなど「緊急に対応したため」としている。

Dr.中川のがんの時代を暮らす

月曜日, 10月 24th, 2011

Dr.中川のがんの時代を暮らすは、毎日新聞日曜日に連載中です。

2週間分毎に転載させていただいています。

 

Dr.中川のがんの時代を暮らす:9 ほろ苦い知らせ

 スウェーデンの首都、ストックホルムから、ほろ苦い知らせが届きました。今月3日、ノーベル医学生理学賞が免疫についての重要な発見をした3人の研究者に授与されると報じられましたが、その一人、米ロックフェラー大のラルフ・スタインマン教授が、受賞発表直前の9月30日に、膵臓(すいぞう)がんのため68歳で亡くなっていたのです。

 今回は予定を変更し、この話題についてお話ししたいと思います。スタインマン教授の受賞理由は、がん治療でも使われる「樹状細胞」という細胞を発見し、その働きを解明したことです。樹状細胞は免疫細胞の一種で、木の枝のような突起を持ちます。この細胞は、がん細胞に触れると、細胞の表面にがん細胞の目印となる「抗原」を「提示」します。すると、がん細胞を攻撃する「リンパ球」が集まってきて、目印のある細胞だけを攻撃することになります。つまり、樹状細胞は、がんを攻撃する際の指揮官といえます。

 この樹状細胞を体外に取り出してがんの目印を認識させ、それを患者さんの体に戻す「樹状細胞療法」をスタインマン教授は自分の膵臓がんに続けていました。膵臓がんは治療が難しいため、延命治療としてこの治療法を選んでいた可能性が考えられますが、受賞の報告を自ら聞くことはかないませんでした。家族が、死去を公表しようとしていたところ、受賞を知らせるメールが教授の携帯電話に届いていたとのことです。

 ノーベル賞は、亡くなった研究者には授与されない原則がありますが、ノーベル財団は「決定した時点では存命だった」として、授賞の予定は変えないといいます。

 一方、「光よりスピードが速い?」と、話題の素粒子「ニュートリノ」に質量があることを示した戸塚洋二氏(当時、東大特別栄誉教授)は、直腸がんのため08年に66歳で亡くなりました。自らの闘病をつづったホームページは感動を与えました。戸塚さんの功績はノーベル賞確実といわれていましたから、ニュートリノ研究で02年のノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏も、「もう少し生きてくれたら」と愛弟子の死を悼みました。

 命の長さ、そして延命治療の意味をも考えさせられるノーベル賞受賞劇となりました。(中川恵一・東京大付属病院准教授、緩和ケア診療部長)

 

Dr.中川のがんの時代を暮らす:10 内部被ばくを考える

 「半減期」の長い放射性セシウムは、外部被ばくと内部被ばくの「主犯」になります。今年3月12~15日の数日、東京電力福島第1原発から大気中に放出されたセシウムは、風に乗って各地に流れていって雨に溶けて降り、土などにしみ込みました。セシウムは、カリウムに近い「アルカリ金属」と呼ばれる物質で、水に溶けるとプラスの電荷を持つイオンになります。土はマイナスの電気を持っているため、セシウムは土の表面に吸着します。家の周りでは、雨どいの下の土の放射能が高くなりやすくなっています。

 セシウムからは、透過性の高いガンマ線が放射され、全身にほぼ均等な外部被ばくが起きます。なお、このガンマ線は空気中では100メートル近く届きますので、家の周りを「除染」しただけではすまないことがやっかいです。長袖を着ても意味はありません。

 セシウムがキノコなどの野菜に吸収されれば、食物を通した内部被ばくにつながります。肉牛からセシウムが検出されたのは、牛のエサである宮城や福島の「稲わら」に、セシウム入りの雨が付着したまま全国に出荷されたためです。セシウムの半減期が長いため、3月の雨の影響が残ってしまったわけです。

 ところで、牛肉をはじめ食物による内部被ばくを恐れる人が多いのですが、内部被ばくには誤解が見受けられます。セシウムも体内に取り込まれると、カリウムと同様、全身の細胞にほぼ均等に分布します。このことは、福島県内で野生化し、安楽死となった牛などの解析からも確認されています。

 体内にほぼ一様に分布したセシウムから出る放射線で被ばくしますから、セシウムによる内部被ばくは、どこかの臓器に集まるのではなく、外部被ばくとほぼ同様の「全身均等被ばく」になります。

 そもそも、シーベルトという単位は、放射線の人体への影響を示すものです。一般住民への健康影響は、発がんリスクの上昇だけですから、シーベルトは、がんの危険性を示す指標といってもよいでしょう。国際放射線防護委員会(ICRP)によると、同じ1ミリシーベルトの被ばくをしたとすれば、外部被ばくであろうと内部被ばくであろうと健康への影響は同じなのです。

より詳細な放射線量等分布マップ開設

木曜日, 10月 20th, 2011

文部科学省は、東京電力福島第一原発事故に伴う

放射性セシウムの濃度や放射線量の分布を地区ごとにズームアップして

閲覧できる放射線量地図を開設しました

http://ramap.jaea.go.jp/map/map.html

  18日公開 

日本一?のホ-ムイルミネーションのお引っ越し

木曜日, 10月 20th, 2011

Christmasの風物詩 太田さんのホームイルミネーション

20081216にHappyRecipeで紹介した写真はこちら

震災が皆の生活を見直すきっかけになっているんですね

 

かすみがうら名物電飾の電球40万個、坂東市に寄贈 ~茨城新聞20111020~
 

きらびやかなイルミネーションに飾られた太田さん宅=かすみがうら市坂i-20111020
毎年クリスマスシーズンにお目見えするかすみがうら市の個人宅の名物イルミネーションが、福島第1原発事故に伴う電力不足の影響で終了することになり、約40万個の電球が坂東市へ贈られることになった。同市は昨年冬から、市内の商店街でイルミネーション事業を展開しており、今回の寄贈で内容を充実させたい考え。所有者の太田勇さん(72)は「日本一のイルミネーションだと自負してきた。長く大事に使ってもらい、商店街の活性化に役立ててほしい」と話している。

太田さんは埼玉県三郷市で解体業を営んでおり、坂東市には破砕工場がある。自宅のイルミネーションは、孫に楽しい思い出をつくってもらおうと、10年前に電球約2000個でスタート。初めは門や塀を飾り付ける程度だったが、毎年増え続け、最終的には高さ18メートルのツリーや連続する電飾アーチなど、家全体が鮮やかに染まるまでになった。

飾り付けの作業は従業員5、6人が休日出勤で9月から行い、毎年11月下旬から12月末まで点灯してきた。テレビにも数回取り上げられ、京都や山形など全国各地から見物客が訪問。多い時で1晩約5000人が訪れ、過去には観光バスの団体客が見学にも来た。

増える見物客に周辺道路は大混雑し、警察から注意されたこともあったという。そのため太田さんは、近くの土地約1・5ヘクタールを借り上げ、駐車場として確保。さらに、見物客の要望で始めた焼きそばなど軽食販売の利益は、市社会福祉協議会に毎年寄付。当初は孫のために始めたイルミネーションが、いつの間にか地域貢献活動になっていた。

「毎年電球など器具を買いそろえ、人件費なども含めたら年間1000万円は掛っていた。途中でやめようとも思ったが、市役所に『今年もやるんですか』と問い合わせがあると聞き、やめられなくなった」と太田さん。「震災があり、今が潮時だと決断した」と話す。

坂東市への寄贈は知人の紹介もあり、快諾した。かすみがうら市から坂東市への搬出作業は19日朝から、坂東市職員が行った。市商工観光課では「大変感謝している。12月に行う点灯式には太田さんに出席してもらい、感謝状を手渡したい」と話している。

 

イルミネーション、坂東市へ  ~常陽新聞20111020~

かすみがうら市で評判の太田さんが寄贈

坂東市が12月1日から第2回「ばんどうイルミネーションファンタジ―2011」を開催するのを前に、個人所有のイルミネーション器具が19日、寄贈され、搬入作業が行われた。 

市関係者によると、器具の提供者は、かすみがうら市在住で解体業を営む太田勇さん。約10年前、「孫に楽しい思い出を残してやりたい」と、飾り始めたのがきっかけで、その後、毎年器具を増やしたため、近隣の評判になり、多くの人たちが見学に訪れるようになった。何年か前に孫も大きくなったため、やめようと思ったが、一般の見学者から続けてほしいという声が届き、やめられなかったという。

坂東市が冬の商店街を彩るイベントを続けるという話を聞き、提供を申し出た。太田さんがイルミネーション器具に掛けた費用は総額で数千万円になるという。

この日の搬送作業には、市から11人が参加。午前と午後の2回、かすみがうら市の太田さん宅を往復し、トラック8台分の器具を搬送した。市では、すでに職員によるプロジェクトチームを編成、寄贈されたイルミネーションの飾り方や設置場所などを検討している。12月1日には太田さんを招いて点灯式と贈呈式を開く予定。市関係者は「素晴らしい器具を寄贈いただき感激でいっぱい。大切に使わせてもらいます」と話している。

野菜ソムリエ市村典子さんを迎えたワークショップ

水曜日, 10月 19th, 2011

常陽新聞20111019

こういう記事に出会うたびに「アイディア」で湧き出るものだと感心します

素敵な生き方されている人ってイッパイいますね

レストランミルフルール

 

行方市 野菜ソムリエ阿南幸世さん講師を迎えて「なめかた野菜deクッキング」参加者募集

茨城新聞20111013婚活

大震災復興支援事業「雅楽の夕べ」募金10万2924円寄託

水曜日, 10月 19th, 2011

東日本大震災:救援募金10万2924円を寄託  ~毎日新聞20111019~

 取手市取手の「取手ライオンズクラブ」(戸祭宏逸会長、110人)が18日、同市東の八坂神社(小林正宮司)で、毎日新聞取手専売所・小沼新聞舗(小沼一雄社長)を通じて、毎日新聞東京本社に東日本大震災救援募金として10万2924円を寄託した。義援金は7日に同神社で、大震災復興支援事業として開催された「雅楽の夕べ」で集まった募金。

 「雅楽の夕べ」は、錦秋の名月をめでながら古来の芸能を楽しんでもらおうと、昨年から始まった。当日は約200人の市民が、悠久の音色と奉納された「男舞」や「巫女(みこ)舞」などを堪能した。戸祭会長は「市民の善意を被災者のために役立ててください」と話した。募金は毎日新聞社を通じ近く、被災地に贈られる。

毎日新聞20111019

震災の被害 今頃発見

土曜日, 10月 15th, 2011

強風で

強風でドアがバサバサと!

「ここも地震被害で壊れていたわぁ」

 

梅雨のような気候です

昨日作ったクリームシチューを今朝食べようとしたらいたんでいました

食中毒に気をつけましょう!10月だったよね