Archive for 4月 17th, 2011

鵜の岬8階展望風呂無料開放中

日曜日, 4月 17th, 2011

地震で休館していた「鵜の岬」が

震災にあわれた皆様の疲れを癒していただきたいということで,

8階展望風呂を無料開放しています

4月11日(月曜)から4月27日(水曜) 午前11時から午後6時まで

タオルは持参

 

営業の再開は4月29日頃より

5月の宿泊 若干の空きあり

問 0294-39-2202

私は日本という女性と結婚 ドナルド・キーンさん

日曜日, 4月 17th, 2011

天地駅横転の電車撤去開始

 

大津波を受けJR常磐線新地駅(福島県新地町)で

脱線、転覆した列車の撤去作業が始まり、業者が重機を使って車体を解体した。

スクラップにして運び出す予定という=16日午後、福島県新地町

 

震災後知らなかったニュースがまだまだ耳に入る

⇓福島県天地駅 海岸から600m

仙台発原ノ町行き普通 乗客40名

乗り合わせた県警相馬署員の2人の誘導で避難後駅舎とも津波にのみ込まれた

http://www.youtube.com/watch?v=5JAmCGVmiLE&feature=related

 

ドナルド・キーンさん永住へ ~産経新聞20110417~

「私は日本という女性と結婚」 ドナルド・キーン氏、永住へ帰化手続き

2009年7月、東京都北区の自宅でインタビューに応じるキーン氏

 日本文学研究で知られる米コロンビア大名誉教授のドナルド・キーンさん(88)が

日本に永住する意思を固め、日本に帰化する手続きを始めたことが15日分かった。

関係者が明らかにした。関係者は

「東日本大震災で大変心を痛め、被災者との連帯を示すために永住への思いが固くなったようだ」

と話している。

 キーンさんは1922年、ニューヨーク生まれ。

学生時代に「源氏物語」の英訳を読み、日本文化に興味を抱いた。

日米開戦後は海軍情報士官として、玉砕した日本兵の遺書を翻訳したり捕虜を尋問。

復員後、英ケンブリッジ大、米コロンビア大、京都大で日本文学を学んだ。

「日本文学の歴史」「百代の過客」「明治天皇」などの著作で知られる。

 三島由紀夫とは京大留学中の54(昭和29)年に知り合って以来の友人で、

三島作品の翻訳も行った。2008(平成20)年に文化勲章を受章した。

 松尾芭蕉の「おくのほそ道」をたどる旅をし、英訳も出版。

東北大(仙台市)で半年間、講義したこともある。

それだけに、被災地の状況を心配している。

平泉の中尊寺は難を逃れたが、

何度も訪れた松島や多賀城など芭蕉ゆかりの地は大きな打撃を受けた…。

 キーンさんはこれまで1年の半分ほどを東京都北区の自宅で過ごしてきたが、

26日にコロンビア大で最終講義を迎えることもあり、

日本に永住することを決めた。周囲に「日本が大好きだから」などと説明しているという。
「危機だからこそ」
 法務省は15日、震災直後の3月12日から4月8日までの4週間に

日本から出国した外国人は延べ53万1000人で、このうち発生後1週間では

24万4000人だったと発表した。

震災発生前の1週間は14万人だった。

 震災と福島第1原発事故を受けて、各国が一時的な出国検討を勧告したり、

被災地からの帰国支援を実施したことが影響した。

 NHKのインタビューに応じたキーンさんは

「日本は危ないからと、(外資系の)会社が日本にいる社員を呼び戻したり、

野球の外国人選手が辞めたりしているが、そういうときに、

私の日本に対する信念を見せるのは意味がある」と語った。

 「私は自分の感謝のしるしとして、日本の国籍をいただきたいと思う」とし、

夏までに日本国籍を取得する考えだ。

 独身を通してきたキーンさんは「私は『日本』という女性と結婚した。

日本人は大変優秀な国民だ。

現在は一瞬打撃を受けたが、未来は以前よりも立派になると私は信じる」と、

新たな祖国になる日本の復活を信じている。

 

「トマダチ作戦」ARIGATOの画像 

http://mainichi.jp/select/today/news/20110417k0000m030030000c.html

ふんばろう東日本支援プロジェクト

日曜日, 4月 17th, 2011

~毎日新聞20100417~

東日本大震災:行政介さず直接支援 宮城・南三陸で「ふんばろうプロジェクト」
 
◇ネットで呼び掛け、需要にあった物資送る
 
東日本大震災の被災地で足りない物を、行政を介さずに直接被災地に送る

「ふんばろう東日本支援プロジェクト」が広がりを見せている。

ネットを通じて物資の支援を呼びかけ、現地の受け入れ担当者へ送ってもらう。

同プロジェクト代表で早稲田大大学院講師の西條剛央さん(36)は

「現地の前方支援と全国の後方支援を連携させ、

必要なところに必要な分だけ無料で届ける画期的なシステム」と話す。

 西條さんは4月上旬、知人とともに津波で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町を訪ねた。

大人には酒や女性用の化粧水など生活の質を高めるもの、

子どもにはおもちゃや雑貨などが喜ばれた。

一方、物資が大きな避難所で余っているのに、

小さな避難所まで行き渡っていない現実を目の当たりにしたという。

 その時、南三陸町で被災した鮮魚店経営、三浦保志さん(56)と出会い、

現地の窓口になってもらってプロジェクトが始まった。

支援は

(1)町内の避難所を回る三浦さんから

「今、何がどれくらい必要か」というニーズを聞く

(2)西條さんがブログやツイッターを通じてその物資の支援を呼びかけ、

応じた人から直接宅配便で三浦さんのもとに送ってもらう

(3)三浦さんやボランティアらが、トラックで町内を回り、配る--という流れ。

 現在、お菓子やサンダル、生理用品など不足がちだったものが多種多様に届く。

三浦さんは、「感謝の一言。町民が自立した生活ができる基盤としていきたい」と語った。

 同町だけでなく、石巻市や岩手県陸前高田市など、

津波の被害が大きかった地域へ支援の輪は広がっている。

西條さんは「何か役に立ちたいがどうしたらいいかわからない、と思っている人も多い。

そういう人にはこのシステムを活用してほしいし、

今後は行政や企業への働きかけもしていきたい」と話した。

ふんばろう東日本支援プロジェクト

福島のさくら

日曜日, 4月 17th, 2011

桜前線が東北地方に移動

穏やかな町 富岡町夜ノ森のさくらは人知れず咲いているのだろうなぁ

・・・なぜか・・・我が家に福島民報があった なぜ?

15日に開花宣言された三春の滝桜や 画像

いわき市小川町樹齢500年のシダレザクラ満開の記事

 

夜の森のさくらはこのように紹介されていた

 

静けさの中桜満開 福島・富岡夜の森公園
 
満開を迎えた夜の森公園の桜。人影は全くない=14日、福島県富岡町(提供写真)
 
 夜ノ森のさくら
 無人の町で、名物の桜並木が満開になった。

事故を起こした福島第1原発から南へ約7キロ。

避難圏にあり、桜の名所で知られる福島県富岡町の夜の森公園は、

ソメイヨシノが見ごろを迎えた。

 調査活動で現地に入った県内の男性が14日午後、桜を撮影した。

一帯は約2.5キロにわたり、1500本余りの並木がL字型に続く。

 例年は大勢の花見客でにぎわうが、ことしは静まりかえり、桜だけが咲きこぼれる。
 
公園付近には地震の爪痕が残る。

道路が所々で陥没し、壊れたままの民家も。

桜並木に大きな被害はなく、鮮やかな花のトンネルが続く。

放射線量は毎時10~15マイクロシーベルトだったという。
 
撮影中、1人だけ「桜を一目見たくて郡山市の避難所から車で来た」と言う

70代の住民に会ったという。

写真を撮った男性は「来年は普通に花見ができるようになってほしい」と語った。
 
夜の森公園の桜は、明治時代に入植者が開拓の記念に植えたのが始まりとされ、

町民が大切に守り続けてきた。

 

高遠城址公園のコヒガンも見ごろになった・・・と