Posts Tagged ‘毎日新聞’

取手駅ギャラリーロードに、取手市商工会女性部の作品展示

水曜日, 2月 15th, 2012

本日より 取手駅ギャラリーロードに、取手市商工会女性部の作品が展示されます

準備もすべて女子ですよ

取手宿ひなまつり

取手宿ひなまつり

取手宿ひなまつり

取手宿ひなまつり

取手二高生の作品も展示されています

取手宿ひなまつり

取手宿ひなまつり

2月29日水曜日朝9時ごろまで展示されています

取手宿ひなまつり:色とりどり「つるし雛」 市内143店舗が参加 /茨城
取手市内の商店街などに色とりどりの「つるし雛(びな)」を飾り、さまざまなイベントを繰り広げる「取手宿ひなまつり」(市商工会など実行委員会主催)が、市内143店舗が参加して、取手駅周辺などを会場に開かれている。メーン会場の同市取手の「田丸屋呉服店」では、見物客らが「とてもきれい」と話しながら「つるし飾り」に見入っていた。
25、26日は同駅西口駐車場で、屋台村模擬店や地元物産、手作り品の販売などの他、取手市民会館で、市が初めて主催するジャズフェスティバルも同時開催。また、26日は市内幼稚園児221人が参加し「お内裏(だいり)様」などを乗せた山車を先頭に練り歩く「ひなパレード」がある。3月3日まで。問い合わせは同実行委(0297・73・1365)

取手宿ひなまつり:色とりどり「つるし雛」 市内143店舗が参加 ~毎日新聞20120215~

取手市内の商店街などに色とりどりの「つるし雛(びな)」を飾り、さまざまなイベントを繰り広げる「取手宿ひなまつり」(市商工会など実行委員会主催)が、市内143店舗が参加して、取手駅周辺などを会場に開かれている。メーン会場の同市取手の「田丸屋呉服店」では、見物客らが「とてもきれい」と話しながら「つるし飾り」に見入っていた。

25、26日は同駅西口駐車場で、屋台村模擬店や地元物産、手作り品の販売などの他、取手市民会館で、市が初めて主催するジャズフェスティバルも同時開催。また、26日は市内幼稚園児221人が参加し「お内裏(だいり)様」などを乗せた山車を先頭に練り歩く「ひなパレード」がある。3月3日まで。問い合わせは同実行委(0297・73・1365)

ゆめあかり3.11 毎日新聞茨城県南部地域に全戸配布

日曜日, 2月 12th, 2012

感謝

本日、毎日新聞朝刊にて「ゆめあかり3.11」ミニポスターを

茨城県南全域に配布させていただきました。

南部毎日新聞会の皆様に御礼申し上げます。

有難うございました。

取手宿ひなまつり開幕直前 駅周辺

金曜日, 2月 10th, 2012

取手宿ひなまつり

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取手宿ひなまつり

縁日に会場となる取手駅西口駐車場

取手宿ひなまつり

ボックスヒル取手の飾り付け中

取手宿ひなまつり

取手ボックスヒル内郵便局

取手宿ひなまつり

取手宿ひなまつり マップNo.115住まい工房ナルシマの飾り付けも終わったようです

百暖簾ラリー:26専門店を巡るスタンプラリー--取手で11日から /茨城
毎日新聞 2月9日(木)11時38分配信
取手市の「百暖簾(ひゃくのれん)実行委員会」と「取手アートプロジェクト」は11日から26日まで、取手駅周辺の26専門店を巡り、各店のオリジナルキャラクターをあしらったスタンプを集めると景品と交換できる「百暖簾ラリー」を開催する。
「取手宿ひなまつり」(11日~3月3日)に合わせた催事。参加店で配布する台紙に、店の商いを表した魚や野菜などのスタンプを貼り、同まつり縁日の25、26日に景品と交換できる。

百暖簾ラリー:26専門店を巡るスタンプラリー--取手で11日から ~毎日新聞~

取手市の「百暖簾(ひゃくのれん)実行委員会」と「取手アートプロジェクト」は11日から26日まで、取手駅周辺の26専門店を巡り、各店のオリジナルキャラクターをあしらったスタンプを集めると景品と交換できる「百暖簾ラリー」を開催する。

「取手宿ひなまつり」(11日~3月3日)に合わせた催事。参加店で配布する台紙に、店の商いを表した魚や野菜などのスタンプを貼り、同まつり縁日の25、26日に景品と交換できる。

取手小学校4年生サケの稚魚利根川に放流

金曜日, 2月 3rd, 2012
サケ:「利根川に戻って来いよ」 取手小の67人、稚魚放流 /茨城
「大きくなって戻って来いよ」--。取手市東の市立取手小学校(矢作進校長、485人)の4年生67人が2日、同市取手の取手緑地運動公園・河川敷で、サケの稚魚約500匹を利根川に放流した。「取手大利根ライオンズクラブ」(宮崎清会長)が、92年から環境美化活動などの一環として始めた。現在では全18市立小学校で実施している。
放流したサケは、同クラブが生命の神秘や小さな命の大切さを知ってもらおうと、常陸大宮市の久慈川漁協から入手し、約1万個の卵を各校に無償で配布した。児童たちが学校で、体長約3センチになるまで大切に育てた。
サケは放流された場所のにおいを覚えるため1~2時間、近くを泳ぐ。その後は大きな群れとなり、利根川河口の波崎港から親潮に乗り、金華山沖~北海道沖~オホーツク海~アラスカ沖を回遊。4年後に戻って来るという。児童たちは「卵から育てたので愛着があり、元気に帰って来てほしい」と話していた。

サケ:「利根川に戻って来いよ」 取手小の67人、稚魚放流 ~毎日新聞20120203~

「大きくなって戻って来いよ」--。取手市東の市立取手小学校(矢作進校長、485人)の4年生67人が2日、同市取手の取手緑地運動公園・河川敷で、サケの稚魚約500匹を利根川に放流した。「取手大利根ライオンズクラブ」(宮崎清会長)が、92年から環境美化活動などの一環として始めた。現在では全18市立小学校で実施している。

放流したサケは、同クラブが生命の神秘や小さな命の大切さを知ってもらおうと、常陸大宮市の久慈川漁協から入手し、約1万個の卵を各校に無償で配布した。児童たちが学校で、体長約3センチになるまで大切に育てた。

サケは放流された場所のにおいを覚えるため1~2時間、近くを泳ぐ。その後は大きな群れとなり、利根川河口の波崎港から親潮に乗り、金華山沖~北海道沖~オホーツク海~アラスカ沖を回遊。4年後に戻って来るという。児童たちは「卵から育てたので愛着があり、元気に帰って来てほしい」と話していた。

「みどりが丘幼稚園」南相馬の幼稚園へ14万7022円を寄贈

金曜日, 2月 3rd, 2012
東日本大震災:取手の園児たち、福島・南相馬の幼稚園へ14万7022円を寄贈 /茨城
取手市本郷の「みどりが丘幼稚園」(宮本裕次園長、211人)の園児たちが、自分たちのお小遣いなどを集め、東日本大震災で被災した福島県南相馬市原町の「青葉幼稚園」(安川正理事長、50人)に、14万7022円を寄贈した。
みどりが丘幼稚園では、毎年10月にフェスティバルを開催し、園児たちが作ったメダルなどの販売金をユニセフ(国連児童基金)などに寄贈している。今年は「地震で困っている園児たちを助けよう」という意見が多く出され、災害時相互応援協定を結んでいる青葉幼稚園に贈った。
青葉幼稚園には1月31日、宮本園長と藤井信吾市長らが出向き、玄関ホールに集合した園児たちに迎えられ、園歌を一緒に歌い、折り紙で作ったメダルをプレゼントした。震災前は230人いた園児たちは、今では離ればなれになっているが「とってもうれしい。元気をもらった。ありがとう」と感謝していたという

取手の園児たち、福島・南相馬の幼稚園へ14万7022円を寄贈 ~毎日新聞20120203~

取手市本郷の「みどりが丘幼稚園」(宮本裕次園長、211人)の園児たちが、自分たちのお小遣いなどを集め、東日本大震災で被災した福島県南相馬市原町の「青葉幼稚園」(安川正理事長、50人)に、14万7022円を寄贈した。

みどりが丘幼稚園では、毎年10月にフェスティバルを開催し、園児たちが作ったメダルなどの販売金をユニセフ(国連児童基金)などに寄贈している。今年は「地震で困っている園児たちを助けよう」という意見が多く出され、災害時相互応援協定を結んでいる青葉幼稚園に贈った。

青葉幼稚園には1月31日、宮本園長と藤井信吾市長らが出向き、玄関ホールに集合した園児たちに迎えられ、園歌を一緒に歌い、折り紙で作ったメダルをプレゼントした。震災前は230人いた園児たちは、今では離ればなれになっているが「とってもうれしい。元気をもらった。ありがとう」と感謝していたという。

Dr.中川のがんの時代を暮らす

日曜日, 1月 29th, 2012
Dr.中川のがんの時代を暮らす:/24 食品での被ばくは微量
食品に含まれる放射性セシウムの基準が今年4月から大幅に厳しくなります。現在運用されている「暫定規制値」は、東京電力福島第1原発事故直後に定められたもので、食品に含まれる放射性セシウムによる内部被ばくを年間5ミリシーベルト以内にすることを目標としています。新しい基準は、これを1ミリシーベルトと5分の1に引き下げることを目指します。その結果、野菜、肉、魚などの一般食品では、現在の1キロあたり500ベクレルの上限値が、5分の1の100ベクレルに引き下げられます。
この数字は米国の基準の12分の1という厳しい値ですが、牛乳や乳児用食品はさらに少ない1キロ50ベクレルとなります。飲料水は10ベクレルと、欧州連合(EU)の20分の1、米国と比べれば120分の1となります。
一方、食品による内部被ばくが実際にはわずかであることが分かってきました。朝日新聞は1月19日朝刊で、福島と全国の家庭で、「陰膳」方式で、食べ物に含まれる放射性セシウムの量とそれによる内部被ばく量を調査した結果を報じています。食卓に並べたものと同じ食事を1食分余計に作ってもらい、3食分をまるごとミキサーにかけた上で乾燥させ、精密に測定したのです。
3食分の検出値を順に並べた真ん中の値(中央値)は、福島県で4・01ベクレル、関東地方で0・35ベクレル、西日本ではほぼゼロと、予想通りとはいえ、非常に低い数字となりました。福島県の4ベクレルは核実験が盛んだった50年前の食品中の放射能レベルに近い数字です。
福島での食事を毎日1年間食べ続けた場合の被ばく量は、中央値で0・023ミリシーベルトにとどまり、国の新基準の40分の1以下です。ホウレンソウなどに含まれる天然の放射性物質であるカリウム40による内部被ばくと比べても、その10分の1程度ですから、健康に影響が出る量ではありません。
食品からの内部被ばくは現在でも非常にわずかですから、新基準に変えても、被ばく量の減少は微量です。しかし、基準を厳格にすることで、福島の生産者は大打撃を受ける可能性があります。福島は、電力と食品の生産地として、東京と日本全体を支えてきました。今後は、東京をはじめ全国が、福島を支える番ではないかと思います。
Dr.中川のがんの時代を暮らす:23 遺体の永久保存
北朝鮮の朝鮮労働党政治局は12日、金正日総書記の遺体を、父親の故金日成主席の遺体が安置されている平壌の錦繍山(クムスサン)記念宮殿に、「生前の姿で」永久保存すると発表しました。
ロシア革命の指導者レーニンの遺体は、現在もモスクワのレーニン廟(びょう)で、生前の姿のまま「展示」されています。中国の毛沢東やベトナムのホー・チ・ミンも同様です。ただし、親子2代で遺体が永久保存された例は聞いたことがありません。
私たちの身体は約60兆個の細胞からできています。そして腸の中には、100兆個ともいわれる膨大な数の細菌が「感染」しています。しかし、免疫の働きによって、生きている間は人体と細菌は「共生関係」にあり、身体が「腐る」ことはありません。しかし、死亡すると免疫の働きが失われ、死後1時間くらいすると、細菌が増殖し始め、遺体は腐っていきます。腐敗を「穢(けが)れ」と忌み嫌う日本人が、葬儀後早々に火葬をする理由の一つです。
ところが、遺体の腐敗を恐れる結果、死者に別れを告げる葬儀が慌ただしいものになってしまうという問題もあります。このため、欧米の国々では「エンバーミング」という遺体処置の方法が普及しています。キリスト教では、死者は「最後の審判」の日によみがえるという教義を持つため、遺体は重視され、「生前の姿」で土葬されるのが普通です。
エンバーミングは、古代エジプトのミイラ作りに起源をもつ遺体の防腐処置で、動脈から体内に防腐剤を注入します。これによって、2週間程度までは常温での保存が可能になります。
さらに、もっと徹底した処理を行えば保存可能な期間をさらに延ばすこともできますし、防腐剤の交換など、定期的なメンテナンスを行えば、半永久的な保存も可能になります。北朝鮮の「永久保存」も、レーニンや毛沢東らの遺体の処置をしたロシアのチームが担当している模様です。
しかし、初期の防腐処理だけで約100万ドル(約7700万円)、その後の維持に毎年80万ドル(約6200万円)もかかるといわれています。金親子は死後も北朝鮮国民にツケを回していることになります。

Dr.中川のがんの時代を暮らす:24 食品での被ばくは微量

食品に含まれる放射性セシウムの基準が今年4月から大幅に厳しくなります。現在運用されている「暫定規制値」は、東京電力福島第1原発事故直後に定められたもので、食品に含まれる放射性セシウムによる内部被ばくを年間5ミリシーベルト以内にすることを目標としています。新しい基準は、これを1ミリシーベルトと5分の1に引き下げることを目指します。その結果、野菜、肉、魚などの一般食品では、現在の1キロあたり500ベクレルの上限値が、5分の1の100ベクレルに引き下げられます。

この数字は米国の基準の12分の1という厳しい値ですが、牛乳や乳児用食品はさらに少ない1キロ50ベクレルとなります。飲料水は10ベクレルと、欧州連合(EU)の20分の1、米国と比べれば120分の1となります。

一方、食品による内部被ばくが実際にはわずかであることが分かってきました。朝日新聞は1月19日朝刊で、福島と全国の家庭で、「陰膳」方式で、食べ物に含まれる放射性セシウムの量とそれによる内部被ばく量を調査した結果を報じています。食卓に並べたものと同じ食事を1食分余計に作ってもらい、3食分をまるごとミキサーにかけた上で乾燥させ、精密に測定したのです。

3食分の検出値を順に並べた真ん中の値(中央値)は、福島県で4・01ベクレル、関東地方で0・35ベクレル、西日本ではほぼゼロと、予想通りとはいえ、非常に低い数字となりました。福島県の4ベクレルは核実験が盛んだった50年前の食品中の放射能レベルに近い数字です。

福島での食事を毎日1年間食べ続けた場合の被ばく量は、中央値で0・023ミリシーベルトにとどまり、国の新基準の40分の1以下です。ホウレンソウなどに含まれる天然の放射性物質であるカリウム40による内部被ばくと比べても、その10分の1程度ですから、健康に影響が出る量ではありません。

食品からの内部被ばくは現在でも非常にわずかですから、新基準に変えても、被ばく量の減少は微量です。しかし、基準を厳格にすることで、福島の生産者は大打撃を受ける可能性があります。福島は、電力と食品の生産地として、東京と日本全体を支えてきました。今後は、東京をはじめ全国が、福島を支える番ではないかと思います。

Dr.中川のがんの時代を暮らす:23 遺体の永久保存

北朝鮮の朝鮮労働党政治局は12日、金正日総書記の遺体を、父親の故金日成主席の遺体が安置されている平壌の錦繍山(クムスサン)記念宮殿に、「生前の姿で」永久保存すると発表しました。

ロシア革命の指導者レーニンの遺体は、現在もモスクワのレーニン廟(びょう)で、生前の姿のまま「展示」されています。中国の毛沢東やベトナムのホー・チ・ミンも同様です。ただし、親子2代で遺体が永久保存された例は聞いたことがありません。

私たちの身体は約60兆個の細胞からできています。そして腸の中には、100兆個ともいわれる膨大な数の細菌が「感染」しています。しかし、免疫の働きによって、生きている間は人体と細菌は「共生関係」にあり、身体が「腐る」ことはありません。しかし、死亡すると免疫の働きが失われ、死後1時間くらいすると、細菌が増殖し始め、遺体は腐っていきます。腐敗を「穢(けが)れ」と忌み嫌う日本人が、葬儀後早々に火葬をする理由の一つです。

ところが、遺体の腐敗を恐れる結果、死者に別れを告げる葬儀が慌ただしいものになってしまうという問題もあります。このため、欧米の国々では「エンバーミング」という遺体処置の方法が普及しています。キリスト教では、死者は「最後の審判」の日によみがえるという教義を持つため、遺体は重視され、「生前の姿」で土葬されるのが普通です。

エンバーミングは、古代エジプトのミイラ作りに起源をもつ遺体の防腐処置で、動脈から体内に防腐剤を注入します。これによって、2週間程度までは常温での保存が可能になります。

さらに、もっと徹底した処理を行えば保存可能な期間をさらに延ばすこともできますし、防腐剤の交換など、定期的なメンテナンスを行えば、半永久的な保存も可能になります。北朝鮮の「永久保存」も、レーニンや毛沢東らの遺体の処置をしたロシアのチームが担当している模様です。

しかし、初期の防腐処理だけで約100万ドル(約7700万円)、その後の維持に毎年80万ドル(約6200万円)もかかるといわれています。金親子は死後も北朝鮮国民にツケを回していることになります。

毎日新聞女の気持

土曜日, 1月 21st, 2012
第一歩 東京都大田区・鳥居光代(小学校非常勤講師・65歳)
「65歳ですが、ボランティアに行っても迷惑になりませんか」。恐る恐る聞いてみると「年齢相応に動ける仕事がたくさんあります」との返事。
東日本大震災後、私には義援金を出すことしかできないのかと疑問を持ち続けていたので、思い切って被災地への新幹線ツアーに申し込んだ。そして先月、ボランティアへの第一歩を踏み出した。
40人の集団で、宮城県南三陸町のがれき撤去作業に参加した。泥にまみれた布、乾電池、茶わんのかけら、本、マージャンパイなどが姿を現す。生活が詰まっているがれきを、手作業で掘り出して分別していく。
1時間もすると、がれきの山が高くなり、家が建っていた跡地が奇麗になっていく。
40人の力はすごいなと思うと同時に、周囲に果てしなく広がっている、がれきの野原に目まいがする。
1泊2日のボランティア体験だったが、人のためにやっているというより、自分のためにやっているという感覚になるのはなぜだろう。
作業を終えると、ボランティアセンターの方が「見ての通り、復興などは先の先です。ボランティアの数が急減しています。皆さんが現状を多くの方に伝えてください」と訴えた。
一人の力は小さいけれど、人海戦術に加わるため、2月には気仙沼で第二歩を踏み出します。

第一歩 ~毎日新聞20120119~

「65歳ですが、ボランティアに行っても迷惑になりませんか」。恐る恐る聞いてみると「年齢相応に動ける仕事がたくさんあります」との返事。

東日本大震災後、私には義援金を出すことしかできないのかと疑問を持ち続けていたので、思い切って被災地への新幹線ツアーに申し込んだ。そして先月、ボランティアへの第一歩を踏み出した。

40人の集団で、宮城県南三陸町のがれき撤去作業に参加した。泥にまみれた布、乾電池、茶わんのかけら、本、マージャンパイなどが姿を現す。生活が詰まっているがれきを、手作業で掘り出して分別していく。

1時間もすると、がれきの山が高くなり、家が建っていた跡地が奇麗になっていく。

40人の力はすごいなと思うと同時に、周囲に果てしなく広がっている、がれきの野原に目まいがする。

1泊2日のボランティア体験だったが、人のためにやっているというより、自分のためにやっているという感覚になるのはなぜだろう。

作業を終えると、ボランティアセンターの方が「見ての通り、復興などは先の先です。ボランティアの数が急減しています。皆さんが現状を多くの方に伝えてください」と訴えた。

一人の力は小さいけれど、人海戦術に加わるため、2月には気仙沼で第二歩を踏み出します。

取手にサッカー場を 県と市に建設要望

火曜日, 1月 17th, 2012
取手市少年少女サッカー連盟:取手にサッカー場を 県と市に建設要望 /茨城
「取手市少年少女サッカー連盟」(山本康樹会長、約450人)が16日、少年サッカー場を同市に建設するよう求める要望書を、6051人の署名を添え、県と市に提出した。藤井信吾市長は「県と協議し前向きに検討する」と応えた。
要望書は、取手市には少年サッカー場がなく、試合会場の確保が困難なので、北浦川緑地公園に整備中の広場をサッカー場として整備。雨天でも使用できる人工芝で、照明設備を完備してほしい--などとなっている。
取手市は鹿島アントラーズと柏レイソルの本拠地の中間点に位置し、子供から大人までサッカー熱は高い。山本会長は「公式戦で大人が使えるサッカー専用コート(105メートル×68メートル)を設けてほしい」と話した。藤井市長は「市内初の公式サッカー場の設置になるので全力で取り組みたい」と述べた。

取手市少年少女サッカー連盟:取手にサッカー場を 県と市に建設要望 ~毎日新聞20120117~

「取手市少年少女サッカー連盟」(山本康樹会長、約450人)が16日、少年サッカー場を同市に建設するよう求める要望書を、6051人の署名を添え、県と市に提出した。藤井信吾市長は「県と協議し前向きに検討する」と応えた。

要望書は、取手市には少年サッカー場がなく、試合会場の確保が困難なので、北浦川緑地公園に整備中の広場をサッカー場として整備。雨天でも使用できる人工芝で、照明設備を完備してほしい--などとなっている。

取手市は鹿島アントラーズと柏レイソルの本拠地の中間点に位置し、子供から大人までサッカー熱は高い。山本会長は「公式戦で大人が使えるサッカー専用コート(105メートル×68メートル)を設けてほしい」と話した。藤井市長は「市内初の公式サッカー場の設置になるので全力で取り組みたい」と述べた。

Dr.中川のがんの時代を暮らす

日曜日, 1月 15th, 2012
Dr.中川のがんの時代を暮らす:21 「人日の節句」に思う
お正月のごちそうやお酒で胃腸の調子がよくない、という読者の人も少なくないかもしれませんが、そろそろ、おとそ気分から抜け出さないといけません。
昔の日本人にも、正月に食べ過ぎた人は多かったのでしょう。松の内が明ける1月7日の朝に、おせち料理とは打って変わって質素な「七草粥(がゆ)」を食べる風習が、江戸時代に広がりました。もともとは中国から伝わったものだそうですが、正月中のごちそうによる胃の負担をやわらげてくれますし、青菜はビタミンが豊富で、栄養バランスを整える効果もあります。野菜はがんを予防しますし、動物実験でも飽食状態のネズミは長生きできないというデータがありますから、理にかなった生活の知恵といえるでしょう。
1月7日は「人日の節句」とも呼ばれ、江戸時代に定められた五節句の一つです。他に桃の節句(3月3日)、端午の節句(5月5日)、七夕の節句(7月7日)、重陽の節句(9月9日)があります。1月7日は文字通り「人の日」で、過去1年の厄払いをして、新しい1年の無病息災と招福、長寿を願う日とされます。
七草粥のせいではないでしょうが、日本人は、男女あわせた平均寿命が83歳と、世界一の長生きになりました。幕末の日本人の平均寿命は40歳程度でしたから、明治以来の140年あまりで、平均寿命は2倍以上となったわけです。
私たち日本人は、古来の「長寿の願い」を実現しましたが、がんを急増させることにもなりました。世界一の長寿と引き換えに、日本は世界一の「がん大国」となったといえます。
がん細胞は、DNAに傷が積み重なることによって細胞が「不死化」したものですから、毎日発生するがん細胞の数は年齢とともに増えます。免疫細胞が、毎日できるがん細胞を水際で殺してくれていますが、この免疫力は年齢とともに衰えます。がんは一種の老化現象のため、高齢化が進むほど、がん患者は増えるわけです。
65歳以上が人口全体に占める割合は、現在23%程度ですが、2025年は3割、55年には4割を超えると予想されます。つまり、私たち日本人は、国民の過半数が、がんを経験する「がんの時代」を迎えることになります。
Dr.中川のがんの時代を暮らす:22 「人生の仕上げ」の時間
北朝鮮の金正日総書記が先月17日に急死し、大きなニュースとなりました。父親の金日成主席と同じ心筋梗塞(こうそく)が死因と伝えられています。しかし、予期せぬ死だったため、20代後半とされる金正恩氏への政権のバトンタッチは薄氷を踏むかのようです。
伝えられている通りであれば、金総書記の死は「ピンピンコロリ」、日本人にとっても「理想的な死に方」と言われます。がんで長く苦しむより、直前までピンピン元気でコロリと息を引き取りたいというわけです。確かに、最期まで死を全く意識せずに生きることはできますが、これでは亡くなる本人も、残される周囲も「準備」ができません。
一方、がんであっても、心身の苦痛を取り去る「緩和ケア」を適切に行えば、亡くなる直前まで普通に暮らすことが可能になります。さらに、がんという病気が患者の皆さんの人生をより深めてくれるようにも思います。これは、がん患者の皆さんの死生観を調査した僕の研究結果でも明らかになっています。
がんの場合、「もう治らない」と分かってからも、年単位の時間が残ります。逆に言えば、がんによって「予見される死」は、「人生の仕上げ」の時間を与えてくれるといえます。
昨年10月に膵臓(すいぞう)がんで亡くなったスティーブ・ジョブズ氏は、最初の手術を受けた1年後の2005年に、米スタンフォード大で有名な講演をしました。
「私は毎朝、もし今日が人生最後の日だとしても、今からやろうとしていることをするだろうかと自問する。もし、『ノー』の日が続くなら、生き方を見直す必要がある。死を思うことが、重大な決断を下すときに一番役立つ。なぜなら、希望やプライド、失敗への不安などは、すべて死の前には何の意味もなさないからだ」
ジョブズ氏は、亡くなる前日も、現最高経営責任者のティム・クック氏と電話で次期製品の打ち合わせをしたと言います。死に向き合いながらも、やりたいことを続けたその生きる姿勢が、一度は倒産の危機にひんしたアップル社を、時価総額世界一に導いたのだと思います。がんという病気になったことも、彼に世界を変える力を与えたのだと確信しています。

Dr.中川のがんの時代を暮らすは、毎日新聞日曜日に連載中です。

Dr.中川のがんの時代を暮らす:21 「人日の節句」に思う

お正月のごちそうやお酒で胃腸の調子がよくない、という読者の人も少なくないかもしれませんが、そろそろ、おとそ気分から抜け出さないといけません。

昔の日本人にも、正月に食べ過ぎた人は多かったのでしょう。松の内が明ける1月7日の朝に、おせち料理とは打って変わって質素な「七草粥(がゆ)」を食べる風習が、江戸時代に広がりました。もともとは中国から伝わったものだそうですが、正月中のごちそうによる胃の負担をやわらげてくれますし、青菜はビタミンが豊富で、栄養バランスを整える効果もあります。野菜はがんを予防しますし、動物実験でも飽食状態のネズミは長生きできないというデータがありますから、理にかなった生活の知恵といえるでしょう。

1月7日は「人日の節句」とも呼ばれ、江戸時代に定められた五節句の一つです。他に桃の節句(3月3日)、端午の節句(5月5日)、七夕の節句(7月7日)、重陽の節句(9月9日)があります。1月7日は文字通り「人の日」で、過去1年の厄払いをして、新しい1年の無病息災と招福、長寿を願う日とされます。

七草粥のせいではないでしょうが、日本人は、男女あわせた平均寿命が83歳と、世界一の長生きになりました。幕末の日本人の平均寿命は40歳程度でしたから、明治以来の140年あまりで、平均寿命は2倍以上となったわけです。

私たち日本人は、古来の「長寿の願い」を実現しましたが、がんを急増させることにもなりました。世界一の長寿と引き換えに、日本は世界一の「がん大国」となったといえます。

がん細胞は、DNAに傷が積み重なることによって細胞が「不死化」したものですから、毎日発生するがん細胞の数は年齢とともに増えます。免疫細胞が、毎日できるがん細胞を水際で殺してくれていますが、この免疫力は年齢とともに衰えます。がんは一種の老化現象のため、高齢化が進むほど、がん患者は増えるわけです。

65歳以上が人口全体に占める割合は、現在23%程度ですが、2025年は3割、55年には4割を超えると予想されます。つまり、私たち日本人は、国民の過半数が、がんを経験する「がんの時代」を迎えることになります。

Dr.中川のがんの時代を暮らす:22 「人生の仕上げ」の時間

北朝鮮の金正日総書記が先月17日に急死し、大きなニュースとなりました。父親の金日成主席と同じ心筋梗塞(こうそく)が死因と伝えられています。しかし、予期せぬ死だったため、20代後半とされる金正恩氏への政権のバトンタッチは薄氷を踏むかのようです。

伝えられている通りであれば、金総書記の死は「ピンピンコロリ」、日本人にとっても「理想的な死に方」と言われます。がんで長く苦しむより、直前までピンピン元気でコロリと息を引き取りたいというわけです。確かに、最期まで死を全く意識せずに生きることはできますが、これでは亡くなる本人も、残される周囲も「準備」ができません。

一方、がんであっても、心身の苦痛を取り去る「緩和ケア」を適切に行えば、亡くなる直前まで普通に暮らすことが可能になります。さらに、がんという病気が患者の皆さんの人生をより深めてくれるようにも思います。これは、がん患者の皆さんの死生観を調査した僕の研究結果でも明らかになっています。

がんの場合、「もう治らない」と分かってからも、年単位の時間が残ります。逆に言えば、がんによって「予見される死」は、「人生の仕上げ」の時間を与えてくれるといえます。

昨年10月に膵臓(すいぞう)がんで亡くなったスティーブ・ジョブズ氏は、最初の手術を受けた1年後の2005年に、米スタンフォード大で有名な講演をしました。

「私は毎朝、もし今日が人生最後の日だとしても、今からやろうとしていることをするだろうかと自問する。もし、『ノー』の日が続くなら、生き方を見直す必要がある。死を思うことが、重大な決断を下すときに一番役立つ。なぜなら、希望やプライド、失敗への不安などは、すべて死の前には何の意味もなさないからだ」

ジョブズ氏は、亡くなる前日も、現最高経営責任者のティム・クック氏と電話で次期製品の打ち合わせをしたと言います。死に向き合いながらも、やりたいことを続けたその生きる姿勢が、一度は倒産の危機にひんしたアップル社を、時価総額世界一に導いたのだと思います。がんという病気になったことも、彼に世界を変える力を与えたのだと確信しています。

嬉しかった記事 毎日新聞1月10日

土曜日, 1月 14th, 2012

m-20120110