Posts Tagged ‘毎日新聞’

とりでアートギャラリー 木内幸男さん企画展

月曜日, 3月 22nd, 2021

毎日新聞

「野球に人生注いだ」木内幸男さんしのぶ企画展 茨城・取手駅ビル

 

産経新聞 20210322

企画展は入場無料。24日まで

 

とりでアートギャラリー 24日まで

日曜日, 3月 21st, 2021

毎日新聞 20210320

「野球に人生注いだ」 ユニホーム、動画など40点 木内監督しのぶ企画展 

なめがた地域医療センター、入院病床を休止へ 

土曜日, 3月 20th, 2021

 なめがた地域医療センター、入院病床を休止へ 4月から 経営悪化、コロナで拍車

毎日新聞 20210320

JA県厚生連は4月から、土浦協同病院「なめがた地域医療センター」(行方市井上藤井)の入院病床を全て休止する方針を決めた

ゆめあかり3.11 

月曜日, 3月 8th, 2021

新聞に紹介されました。

毎日新聞

IMG_20210307_m

茨城新聞

IMG_20210307_i

朝日新聞

 

IMG_20210307_a

IMG_20210307_y

ゆめあかり3.11今年で幕

木曜日, 3月 4th, 2021

毎日新聞夕刊 20210304

IMG_20210304夕刊m

全国紙に掲載されました。

福島復興道半ば

水曜日, 3月 3rd, 2021

毎日新聞 20210303

messageImage_1614730369216

困ったときは人に迷惑をかけてもいいんだよ

水曜日, 2月 10th, 2021

東京の義兄 女の気持ち・匿名

毎日新聞 20210210

最後の所持金はたったの1905円だった。東京で1人暮らしをしていた義兄が亡くなった。39歳。残されたメモには「コロナ感染の疑いあり」の一文とともに実家の連絡先が記されていた。

義兄は中卒でとび職人だった。2020年の東京五輪を控え、建設ラッシュだったころは羽振りもよく、数年前、夫にかけてきた電話では「お前も東京へ来いよ。日当いいぞ」などと話していた。

そして今年。義兄は失業していたようだ。保険証もなく、病院に行くこともできなかったのだろう。発見されたとき、死後1週間ほど経過していた。自死であった。検視でのPCR検査の結果は陰性。肺炎だったそうだ。

「自殺者数」という数字の裏側に、一人一人の人生がある。部屋で1人で思い詰めた義兄の心中を思うと、胸がふさがる。義兄の、日に焼けた顔と豪快な笑い声を思い出す。なぜ、電話を1本かけてくれなかったのだろう。義兄の死からずっと、夫と私はそればかり考えている。

これを読んでいるすべての人に伝えたい。コロナにかかることも失業も、自己責任なんかじゃない、と。そして「困ったときは人に迷惑をかけてもいいんだよ」と。人に迷惑をかけずに生きられる人など、いないのだから。

毎日新聞 男の気持ち

火曜日, 2月 9th, 2021

ごめんなさい

毎日新聞 20210209

要介護だった母が、84歳で亡くなった。ここ2年ほどで急激に体調が悪化し、同居の私が世話をしていた。

とはいえ、私にできたのは買い物や簡単な食事、飲み物の用意、移動時の付き添いと介護、汚れものの洗濯、片付けや掃除程度。本当に大変な介護をされている方からすれば、取るに足らない作業だろうが、自分自身のことで精いっぱいだった私には、それでも大きな負担だった。

「しっかりしてくれよ」「何やってるんだよ!」

思い通りに動いてくれない母にいら立ち、怒り、感情を抑えられないまま何度もひどい言葉を浴びせてしまった。それを聞いた母の悲しそうな顔が忘れられない。

誰でも年を取って衰えれば、以前と同じようには暮らせなくなる。それが頭ではわかっていながら、私は現実を受け入れることができなかった。体力も気力も弱り、昔とは別人のようになってしまった母を前にして、私は戸惑い、混乱し、自分の都合だけで母を疎ましく感じていた。苦痛で体が自由にならず、本当につらい思いをしていたのは母のほうだったのに。

お母さん、最後までどうしようもないダメな息子ですみませんでした。優しかったあなたから受けた愛情や恩の100分の1も、私は返すことができませんでした。どうか向こうでは体のつらさから解放され、安らかにお過ごしください。

新聞配達 女の気持ち

土曜日, 2月 6th, 2021

毎日新聞20210206

 朝、吹雪の中を学校へ行く子どもたち。その姿を窓の外に見ながら「大変だねえ」と心の中でつぶやく。

 このところ盛岡でも、いつにない大雪だ。ふと、幼いころのことを思い出した。当時の冬はこんな日など当たり前。あるいはもっと大変だったかもしれない。どんなにひどい雪であろうが、子どもたちは皆、せっせと学校に通ったものだ。それは昔も今も変わらない。

 私は50代のころ、5年ほど新聞配達をして働いていた。そのときも私は天候について、さしてつらいだの嫌だの思いはしなかった。

 「マイナス12度だぞーっ、気をつけろ!」

 他紙を配達している人が叫んでいく。いてついた路面で滑って転ぶ。大雪でハンドルを取られ、新聞を前後に積んだバイクごと転倒したこともある。私自身、何度も怖い目に遭ったものだ。

 今思えば、どちらかというと運動の苦手な私が、よく続けられたと思う。バイクの運転免許を取り、自転車から乗り換えられたのも新聞配達のおかげである。

 あのころ、仲間が撮ってくれた写真がある。新聞をいっぱい積んだ販売店のバイクにまたがり、末娘のピンクのヘルメットをかぶった私は、笑顔だ。

 配達から戻り帰宅すると、そのバイクは次に末娘が仕事に出かけるのに使う、という毎日だった。

東海第2 避難所1.8万人分不足 責任曖昧、ずさん算定 トイレ・倉庫も「居住」扱い

日曜日, 1月 31st, 2021

東海第2 避難所1.8万人分不足 責任曖昧、ずさん算定 トイレ・倉庫も「居住」扱い

毎日新聞 20210131
20210131-m
日本原子力発電東海第2原発をめぐる広域避難計画で、茨城県内の避難所が2018年時点で約1万8000人分不足していた。施設のトイレや倉庫、ステージ、玄関ロビーまで避難者の居住スペースとして計算したためで、防災の専門家は「あまりにずさんだ」と批判する。計画策定のプロセスを検証した。