相馬氏戦いの歴史たどる ~常陽新聞20110726~
取手市埋蔵文化財センターで企画展
「取手の戦国時代―永禄12年の夏」と題した企画展が、取手市吉田の市埋蔵文化財センターで開かれている。「戦国ブーム」の中、地域にとっての戦国時代はどういう時代だったかを知ってもらおうと企画した。当時、取手地区一帯を支配していた相馬氏と、近隣の小田氏、真壁氏、佐竹氏などとの戦いの歴史を出土品や資料などでたどっているほか、市内に残る戦国時代に建てられた龍禅寺三仏堂、高源寺にある相馬胤永の墓などの史跡を写真などで紹介している。9月22日まで。入館無料。
副題の「永禄12(1569)年」は、同市米ノ井の国指定重要文化財、龍禅寺三仏堂で1985年に発見された木札が造られた年代。付近一帯は戦国の真っただ中にあった。真壁氏(桜川市)と小田氏(つくば市)の決戦となった手這坂(てばいざか)の合戦が起こり、小田氏が敗北した年でもある。さらに上杉謙信が、武田信玄に対抗するため、これまで敵対していた北条氏と軍事同盟「越相同盟」を結んだ年でもある。
平将門の子孫を自負する相馬氏は取手地域一帯を支配し、本拠地の守谷城(守谷市本町)のほか高井城(取手市下高井)などを築いた。しかし北の佐竹氏(常陸太田市)、南の北条氏(神奈川県小田原市)との戦いの前線に位置したことから衝突が繰り返され、相馬氏はどちらに加担すれば生き残れるかを模索。当初は北条氏に敵対したが、その後
北条氏の勢力に加わった。
近隣では小田氏(つくば市)が北条氏側につき、佐竹氏と関東管領(かんれい)・上杉謙信と同盟を結んでいた真壁氏(桜川市)と戦いを繰り返し、手這坂合戦で真壁氏に敗れた。
一方、同じ年、それまで北条氏と敵対していた上杉謙信が、武田信玄に対抗するため越相同盟を締結。しかし北条氏と敵対していた地域の武将にとっては裏切り行為と映り、以後、佐竹氏が中心になる。その後の豊臣秀吉の北条攻めで北条氏が敗れ、佐竹氏は常陸国を制覇した。
取手の相馬氏は、北条氏側に加担したことから秀吉の小田原攻めで取りつぶしになった。同展では、地方の小さな領主が、その意志にかかわらず、戦国という時代の渦の中で翻弄(ほんろう)される様子を浮き彫りにしている。
同展では、守谷城や高井城のほか、小田城、真壁城などの計175点の資料を展示。高井城から出土した当時の最高級品、中国の青白磁器なども展示されている。
同展は開期中無休。問い合わせは同館(電話0297・73・2010)まで。